悲しい結果

7月下旬、3回目の検診に旦那さんと行きました。

検診の結果、先生から
「赤ちゃんの心拍が聞こえません。」
と告げられました。
ただ、一回で、しかも一人では判断ができないとのことで、
3日後、また診ていただくことになりました。

この3日間は、間違えであって欲しいとずっと祈っていました。
もちろん、会社にも行き、普通の生活をしながらですが。

悲しいことに赤ちゃんが動かなくなっても、
お腹にいることでつわりはあるそうで、
変わらず気持ちが悪い日々・・・。

3日後の検診でやはり赤ちゃんが育っていない、
という診断に。
稽留流産であると告げられました。

手術に関する説明を主人と聞きながらも、
私は涙が止まらず、先生の話もただ、
言葉が流れている感じでした。

ただ、印象に残っているのは、
40を過ぎてからの妊娠の確率は50%。
妊娠の継続の確率はさらにそこから50%。
「この年齢で妊娠されたということは、
奥さんの子宮はまだ若い方だということでしょうね」
と当たり前ですが、たんたんと告げられました。

旦那さんが
「先生が立ち会った出産で最高齢は何歳ですか?」
と聞くと先生は
「43歳ですね」
と答えていたことを覚えています。

すごく無機質な言い方にショックを受けました。
43歳なんてもうすぐじゃん。
もう時間がないじゃん、
このまま産めないんじゃないか・・・。
なんでお空に帰っちゃったんだろう・・・。
何が悪かったのだろう・・・。
とそんなことをずっと考えていました。

そして悲しい手術をすることなりました。

周りの反応

妊娠は上司と本当に仲の良い子だけに伝え、
他の人には言わずにいました。
が、つわりがひどかったので、
きっと周りの人もわかっていたと思います。

しかも同じ会社にいた旦那さんは
すごく嬉しかったみたいで
なんとなく、子供ができたっぽいことを匂わせていたし。

友達も後輩も、私が子供を欲しがっていたことを知っていたので、
みんなすごく喜んでくれて。
親友からは「安心のマタニティブック」を プレゼントしてくれました。

また、昔、一緒に占いに行った後輩は、
「42歳で子供ができる」
と占いで言われていたのを覚えていてくれて
「占い、ほぼ当たりましたね」
と喜んでくれました。

そして次の検診の日、
私はいつも通り旦那さんと病院に向かいました。

初めての妊娠

最初は、なんだか体調が悪いなぁと感じていたのと、
基礎体温がずっと高温期だったので、
もしかして・・・と思い妊娠検査薬でチェック。
陽性反応が出て、旦那さんとまさに手を取り合って喜びました。

病院で検査した結果、妊娠2ヶ月。
親友にすぐに電話で報告しました。
親友の声を聞いたら、嬉しくて電話でも泣いてしまって・・・。
言葉にならなかった。
そのあと、自宅で母にも泣きながら報告しました。

この時の私は
妊娠したことの喜びを感じつつ、
仕事もいつも通りに出勤し、仕事をこなし、家に帰る、
という毎日でした。

でも、だんだんとつわりがひどくなり、
上司に相談、時短勤務 (出勤時間を1時間遅らせる)にさせていただきました。

私は金融機関でIT部のマネージャーをしていたので、そこそこの激務。
また役職もついていたこともあり、具合が悪くても休みにくい、
遅刻もしにくい、と自分自身が精神的にも、肉低的にもきつい状況に陥っていました。

直属の上司は男性。
しかもあまりいい関係性ではなかったので、
弱いところをみせることも、
助けてもらうこともできず、
毎日が必死、という感じでした。

それでも、かかとの低い靴(このときはほとんど持っていませんでした)を買ったり、
お腹周りのゆるい、ウェストがゴムになっている服を買ったりと
幸せな気分で買い物をしたのを覚えています。
なんとも見た目から入る?的な妊婦生活のスタートでした。

2回目の検診でも問題なく、
ここまでは順調に育っているようでした。

タイミングは3日頑張ること

久々に会ったBちゃんは二児のママ。

Bちゃんも不妊に悩んで、ゆるい人工授精を試していたのだそう。
特に二人目はなかなかできなくて・・・と。
どんなことをしたのか、
費用はいくらくらいかかったのか、
など、この頃の妊活事情を教えてくれました。

私ってホントに無知なんだなぁ・・・と思うことばかり。
どこの病院は、体外受精で双子のできる確率が高いらしい、
とか
人工授精や体外受精でも病院によってやり方が違う、
などなど。。。

排卵検査薬の存在もこの時に教えてもらいました。

みんな頑張ってるんだなぁってしみじみ感じたのと、
私も頑張ろう!!とすごく思いました。

それともう一つ、
タイミングは3日、頑張ること!
「Yちゃん3日だよ!」
これが合言葉のようになっていました。

タイミングは3日、頑張ること!
それからタイミングを取るときには3日頑張りました。

そしてとうとう、妊娠することができました。
私が41歳と8ヶ月の時でした。

気持ちは焦っていても・・・

それから気持ち的には焦り出して、
彼とも真剣に話し合うようになりました。

結婚式、仕事、旅行・・・
優先順位をつけつつ、
基礎体温を見ながらタイミングをとって行くことにしました。

恥ずかしながら、
排卵検査薬の存在をこの時には知らなかったので、
ルナルナに基礎体温を登録し、タイミングをとる時期をみていました。

その後、結婚式が終わり、
新婚旅行にも行き、
仕事もして、
タイミングもとって・・・。
という日々が続いていきましたが、
一向に妊娠せず、気持ちばかりが焦っていました。

でも、今考えると、本当に焦っていたのかなぁ?
と首をかしげますが、
自分的には焦っているつもりでした。

いつもなんだかもやもやした感じ。
このままでいいのかなぁ。
本当に赤ちゃんってできるのかなぁと・・・。

このもやもやした気持ちを聞いてほしい!
久々にBちゃんに会いに行きました。

友だちの言葉から焦りが・・・

それから少しして、
出産した友だちAちゃんと久々に連絡を取り、
ランチをすることになりました。

Aちゃんは女の子二人のママ。
私は知らなかったのですが、なかなか子供ができず、
人工授精で授かったということでした。
こんな身近に人工授精をした子がいたんだ!
というのが率直な感想でした。

今は、
人工授精や体外受精をしてる人って結構いるんだ、
と理解しているし、私の周りにもいます。
現に私も体外やったし。

でもこの時はそれすらも分かっていなかった。

子供は自然にできる、
なんて世間知らずもいいところな私だったのです。

Aちゃんと私は古くからの付き合い。
Aちゃんと旦那さんは長く付き合って結婚したということも
知っていたし、仲も良かったのを知っていたので、
なかなか子供ができなかったということに 少し驚きました。

そこでAちゃんから言われたのが、

思ったよりもなかなかできないかもしれないよ、
結婚式もいいけど、赤ちゃんが欲しいなら
もっと真剣に考えたほうがいいんじゃない?
もういい歳だし、タイムリミットだってあるんだよ。

「タイムリミット」
そうか、タイムリミットがあるんだ。
しかも、タイムリミットってもうすぐなんだ。
どうしよう!

私が焦り出したときでした。

タイミングいつとる?

それから、
いつから避妊せず子作りに励むか、
彼と相談をはじめました。

結婚式もあるし、旅行も行きたいし・・・

今考えると、なんて呑気なんだろう・・・
という感じですが。

この時は子供は欲しい。
でも自分たちの都合もあるし、
となんとなく赤ちゃんは二の次のような感じになっていました。
あれだけ焦っていたはずなのに、
本当に呑気なものです。

でもこの後に少し焦る出来事があったのです。

産婦人科で勧められたこと

検査の結果、特に異常のなかった私が先生に勧められたのは、
まずはタイミングをとりましょう、
ということでした。

ただ、タイミングをとることを積極的に勧められたのではなく、
タイミングを取ってみますか?
くらいな感じでした。

年齢的なこともあり、
人工授精を試して、
ダメならすぐに体外受精にステップアップするのがよい、
とこちらの方を勧められた感じでした。

40歳での妊活って、そういう感じなんだなぁと
改めて感じました。
とりあえず、彼に相談してみようと思い、
そのまま帰宅しました。

私は病院に行くと、
必ず帰り道に彼に電話をして報告をしていました。

彼が心配性ということもありますが、
私が彼に話すことで安心するから。
子供みたいですけど、
彼にはなんでも話しておきたくなるんです。

彼と話して、
結婚式もあるからとりあえず、タイミングをとればいいんじゃない?
と、この時は軽く考えて終わっていたことを覚えています。

ただ、この次の日から本格的に基礎体温をつけ始め、
これは妊娠5ヶ月まで ずっと続けていました。

こちらの病院は、
先生がとても淡々としていて、
産婦人科の先生って 冷たいというか、冷静というか、
少し遠い存在なんだな、と感じました。

看護師さんがとてもやさしくて、
何でも相談できそうな、
そんな印象をもった病院でした。

不妊治療の病院ってそんなものかな???

産婦人科での検査

初めて行った病院は
荻窪にある不妊治療専門の病院でした。

なぜ、その病院にしたのかというと…

私は、35歳の時に子宮ポリープの除去手術をしました。
その時に
「1年間は避妊してください」
と先生に言われたのですが、
1年後の検診で、子供が欲しいことを先生に伝えたところ、
いくつかの病院を紹介してくださいました。
その中の先生のお勧めの病院が荻窪の病院だったからです。

「不妊症」とは
妊娠を希望しながらも1年以上、
妊娠しない夫婦を 「不妊症」と呼ぶそうです。
私たちはまだ避妊をしていたので
「不妊症」には当てはまらないのですが、
とりあえず、
異常はないのか調べてみよう!
ということになり、お互い調べてもらいました。

私が調べたのは
血液検査やHIV検査、
排卵がちゃんとあるかとか、
卵管造影検査など、
一般的な検査だったのだと思います。

彼にも精子の状態が問題ないか、
検査をしていただきました。

卵管造影検査は痛いと聞いていたので、
前日の夜からドキドキしていたのですが、
私の場合、詰まりがなかったせいか
全く痛くありませんでした。

すべての検査の結果、
私にも彼にも特に異常はありませんでした。

このときは
これで産めるんだ!
と結果だけをみてのんきに喜んでいた感じでした。

結婚、そして妊活の始まり

お付き合いして5年くらい経った頃、
私たちは入籍をしました。
私が40歳になる年です。

出会った頃から結婚の意思があることは聞いていましたが、
2度目の結婚にはなかなか踏ん切りがつかず・・・。
また離婚しちゃったらやだし、
子供は欲しいけど、
できちゃった結婚はいやだし・・・。
とズルズルするうちに5年もかかってしまいました。

踏ん切りがつかなかったのは、
きっと彼もそうだったのだと思います。

入籍したすぐあとに、
とりあえず、赤ちゃんができる体か検査をしよう!
と産婦人科に通い始めました。

これが私の妊活のはじまりです。