陽性反応

2016年が明けた1月20日、妊娠検査薬で陽性反応がありました。

生理予定日から1週間くらい経ち、数日前からなんとなく体調が悪く、
まさか・・・と思いつつも、 これまでにも同じようなことがあったのであまり期待しないよう 過ごしていました。

そして満を持して妊娠検査薬でチェック。

陽性反応が出た妊娠検査薬を握りしめ、嬉しくて泣きながら彼に結果を見せると、 彼も泣いて喜んでくれました。

でも前回のことがあるので、二人とも冷静に、 しばらくは誰にも言わないでおこうと決め、1週間後、病院に行くことにしました。
それまでの1週間はうれしいけど心配、二人でドキドキ、ニヤニヤしながら過ごしました。

翌々日の22日には後輩の結婚式に出席させて頂いたり、
友人とのランチや仕事など極力普通に過ごしていました。

そして1週間がたった28日、
いつも通っている近所のクリニックへ行きました。

先生に陽性反応が出たことを伝え、クリニックでも尿検査、
そこでも陽性反応が・・・。

その後のエコー検査の結果、
ちゃんと子宮の中で、
赤ちゃんの心拍も確認できました。

私はただただうれしくて・・・
ドキドキしながら先生の診断を受け、エコー写真をみせていただきました。

先生は何気なくポンと私の目の前にエコー写真を置かれましたが、
私は感動し、エコー写真に釘付け。
まだ形も豆粒のようで、子宮の中にぽつんといるだけ、
それでも思わず「かわいい」とつぶやいてしまうほどの感動でした。

先生も「よかったね。」とは言いつつも私たちと同じ、
先のことが不安だったのだと思います。
このまま少し様子を見よう、ということになりました。

私も一瞬、不安な気持ちを忘れましたが、
そうだ、私は高齢出産なんだ、
また前回のようになったらどうしよう、
と嬉しいけれど不安、そんな複雑な気持ちが舞い戻ってきました。

それから1週間ごとにクリニックへ行き、赤ちゃんの様子を見守りました。
1週間の間は本当に不安で不安で・・・。
無事に育って欲しい、
でも前回のようにお空に帰ってしまったらどうしようと。

それでも、うれしくてうれしくて、1週間毎の通院は
ドキドキワクワクでした。

妊活中の生活

妊活中、お仕事も出来る範囲でしながら、
大学にも通いながら (会社を退職してから通信で芸大に通い始めていました。) プラセンタ注射や漢方薬を続け、タイミングをとり続けていました。

旦那さんが出張だと言えばついて行き、出張+旅行を楽しんだり、
美味しいものを食べたり、
いろんな講演を聞いて語り合ったり、
とにかく、二人の生活を満喫していました。

2015年12月、毎年恒例となっていた海外旅行へも行きました。
この海外旅行が、子供を授かる前の最後の旅行となりました。

まったり妊活

まったりした妊活。

何もしていないわけではなく、相変わらず、漢方薬は飲み続けていました。
体を冷やさない、
冷たい飲み物は飲まない、
適度に体を動かす、
などといったことはもちろん、継続していました。

仕事も出来る範囲で、自宅で続けていました。

一つ始めたのは、プラセンタ注射です。
不妊の治療として絶大な効果はないかもしれませんが、妊娠しやすい体を作るには いいはず、ということ、
前回、妊娠した時にはプラセンタ注射を打ったり、サプリを服用していたので、 もしかしてこれがよかったのかも? と近所のクリニックの先生とも相談し、週1〜2回、注射を打っていました。

このクリニックの先生からも私の年齢では体外受精は難しいかもしれないと 言われました。

人によるのでしょうけれど、私には合わなかったのだと思います。
クリニックの先生には排卵のタイミングを見て頂いたり、クラミッドを処方して頂いたりしましたが、
先生が「タイミングだけでいけるような気がするなぁ」と
言ってくださっていたので、それを信じて通っていました。
そのうち、排卵のタイミングも排卵検査薬でチェックし、クラミッドを飲むことも ほとんどしなくなりました。

とにかく自然に・・・。

漢方薬局の先生にも「タイミングだけできっと大丈夫ですよ。」と言って頂いたり、 私の周りには心強いことを言っていただける先生がいたので、なんとなく 大丈夫かも、とあまり焦ることなくゆるく頑張り続けることができたのだと思います。

また、「この年齢でまだ子供?」って思われたら嫌だなと思って、 友人に「妊活してます」とは言いにくいなと思っていたのですが、私の周りには そんなことをいう方はひとりもいなかったのも救いでした。

久しぶりに会うお友達に「実は今妊活中なんだ」と言うとみんな「頑張りなよ。」と 励ましてくれる子ばかりでした。

この周りの環境が、穏やかな気持ちで妊活生活を送れたのだと思います。

3回目の体外受精

ひと月お休みをしてまた採卵、移植をすことにしました。

この病院はとても人気で毎回、すごく混んでいます。
1回の通院で3時間はかかります。
そのほとんどが待ち時間。
人がとても多くて、不妊で悩んでいる人ってこんなにいるんだ。と驚くほど。

朝、早起きして7:10に到着しても、すでに89番目。
これだけ混んでるんです。
しかも、先生とじっくり話すわけではなく、本当に事務的。
しかも数分。

それがいいという人もいると思いますが、心のうちを話すことができず嫌だという人も いるでしょう。
私はよくも悪くもなかったけれど、ベルトコンベアーのように流れ作業的な雰囲気と 待ち時間の長さにストレスが溜まってしまっていました。
どうも前向きな気持ちになれないというか・・・。

採卵は2回目。
今回は麻酔もせずに実施。
それほど痛くはありませんでした。

結局、2つ取れた卵のうち、ひとつは空胞だったので 卵は1つのみ。
今回の卵は形が良いとのことで、このまま胚盤胞まで培養することになりました。
が、胚盤胞まで育つことはなく、移植をすることはできませんでした。

まだ数回だけしかやっていないけれど、精神的にも肉体的にも ストレスが溜まってしまい、そんな私を旦那さんんが察してくれ、 しばらくお休みすることにしました。

しかも、私の年齢では、体外でも、タイミングでも確率は同じ。
それならば、体に負担のかからないタイミングで頑張ろうと、旦那さんが提案してくれました。

2015年7月、42歳。
ここから私のまったり妊活が始まりました。

2回目の体外受精

2回目は前回凍結した分割卵を移植することになりました。

前回着床しなかったのは、卵の状態があまり良くなかったからだろう、
とのことで、ほとんどの原因は卵なのだそうです。

着床しないことはよくあることだそうです。
それはそうですよね。
簡単に着床していれば不妊治療なんてこないもの。

分割卵の移植は、胚盤胞の移植に比べ確率は下がるけれど、 ずっと子宮の中にいるので温度も一定で暗いこともあり、分割卵の方が 良い場合もあるそうです。

結果は・・・ 今回も陰性。
しかも着床もしていないとの結果でした。

まだ初めて2回ですが、このまま続けていいのか・・・すでに疑問に思いはじめていて ひと月お休みし、タイミングを取ることにしました。

1回目の体外受精

生理3日目に行き、
ホルモン検査後、
クラミッドを1錠ずつ服用する事に。

その5日後にホルモン検査に行くも
「卵が育っていない」と言われ、
1日おきに注射をしに行きました。

今度は卵が大量にできてしまったということで、
採卵し受精後、凍結させることになりました。

Kクリニックは、採卵時の針がとーっても細いため、
通常は麻酔などはせずに行うのだそう。
私の場合は卵の量が多く、全部を取得して凍結させるので、
局所麻酔をする事になりました。

1回目の体外受精は採卵の前々日、
24時に点鼻薬で採卵を促すことから始まりました。

前日、16:20 に病院へ電話をし、時間、費用、持ち物を聞く。
18:00、24:00 に座薬を入れ、
朝 9:30 に彼の精液を持って病院へ。

病院では 10:30に採卵開始。
局所麻酔後、右側から採卵をしました。
右側が恐らく10個。
左側が14個くらいだったと思います。

採卵の時は、多少の痛みはあったものの
耐えられる範囲でした。
たぶん、普通は相当痛いらしく、看護師さんには
「痛みに強いのね」と 感心されました。
でも・・・ 終わった後が痛い。

麻酔が切れてからは、痛くてまっすぐ座れないほど。

その後、培養士さんとの面談があり、採れた卵について説明を受けました。
5つの成熟卵 3つの未成熟卵 1つの完全未成熟卵がありました。
5つの成熟卵はすぐに受精させ、1つはすぐに凍結。
残りは胚盤胞まで育てて凍結させるとのこと。
(胚盤胞を移植したほうが着床率が高いそうです。)

とにかく痛い。
でも赤ちゃんを授かるため。
と思ってとにかく耐えました。

その後、培養させている卵の様子を聞くため、
数回、病院へ電話をし確認をしましたが、
結局、 1つは分割卵に成長し凍結。
1つは胚盤胞まで成長したので凍結していただきました。

この胚盤胞まで成長した卵を翌月の排卵日に移植をしました。
移植はカテーテルを入れた時に
少し痛みがありましたが
卵を戻す時には痛みはなく、
画面も見ることができたので、
「おかえり〜」と心の中で言っていました。

約1年前にお空に帰ってしまった赤ちゃんが戻ってきてくれればいいなぁ
と願いつつ、判定日を待ちましたが、
結果は陰性。
着床すらしなかったようでした。

まだ始まったばかりの体外受精、
でももう心が折れそうに・・・

こうして初めての体外受精が終わりました。

妊活の再開

退職後、自宅で仕事をしながら妊活を送っていました。

今思うと、結構頑張って妊活していたと思います。
体外受精にも3回チャレンジしました。

体にもすごく気を使っていました。
もともと冷たい飲み物は苦手で、
毎日白湯を持ち歩いて飲んでいましたが、
家でも冷たいものは飲まず、
早寝早起きを心がけ、
太らないように適度に運動をしたり、
葉酸のサプリも毎日欠かさず飲みました。

そうそう、
この頃から漢方薬も飲み始めました。
近くの漢方薬局に行き、
調合してもらい、
朝晩、毎日飲みました。
漢方薬局の先生はとても優しくて、
「絶対授かりますよ。」
といつも励ましてくれていました。

この時、すでに42歳。
タイムリミットが近づいていると、
だんだんと焦りを感じ始めていました。

そんな時にずっと通っていたネイルサロンのオーナーさんに
不妊治療の病院、
西新宿の「Kレディスクリニック」
を紹介していただきました。
Kレディスクリニックは不妊治療では有名で人気のクリニックです。

待ち時間が長いとか、
先生が事務的とか、
色々お話は聞きましたが可能性は広がる。
しかも体外受精で使う針は細くて痛みが少ない。

初診は44歳までと制限があるそうなので、
藁をも掴む気持ちでクリニックに行き、
検査を受け、私も主人も異常がない事を確認し、
すぐに1回目の体外受精をする事になりました。

心境の変化

それから5ヶ月後、私は会社を辞めました。

今までも辞めたいと思ったことはたくさんありましたが、
仕事が決して嫌いではなかったことや
お給料にも不満がなかったこともあり、
辞める、という一歩を踏み出すことはできませんでした。

でも、この時は
また赤ちゃんを授かることができるように、
また、できた時のために心も環境も整えたい、
という気持ちが強く、
迷うこともなくするっと
「会社を辞めよう」
と決意しました。

ちょうどよかったのは、
その時の上司との関係性が良くなかったこと。
なんの未練もなく、憑き物が取れたような気持ちでした。

あんなに辞めることに抵抗を感じていたのに、
なんの戸惑いもなく、あっさり辞めるなんて
自分の心境の変化にも驚きました。

自分を責める

手術後、これまでの日常が戻ってきました。
ただ、私はなかなか立ち直ることができず・・・。

同じ境遇の子と慰め合って
少し気持ちが楽になって、
また落ち込んで・・・
の繰り返しでした。

他のほとんどの子は何の不安もなくマタニティ生活を
送っているのに私は・・・
なんで私ばっかり・・・。
私の何が悪かったんだろう・・・。
やっぱり年齢だろうか・・・。

この頃の赤ちゃんが亡くなってしまうのは、
お母さんに原因があるのではなく、
遺伝子異常だといいますが、
私は自分を責めては泣いていました。
同じ経験を持つ方は多くの方がそうなると思いますが・・・

気持ちが落ち着かず、
何かにすがりたいのか、
気持ちを誰かと共有したいのか、
整理したいのか・・・
よくわかりませんが、とにかく本を読み漁りました。

読んだ本は、「子どもは親を選んで生まれてくる」や

 高島彩さんの「彩日記-Birth-」などです。

そうして少しずつ気持ちが落ち着いてきました。

悲しい手術

その数日後、流産の手術をしました。

手術の説明書には
「流産手術(子宮内容除去術)」
と記載されています。

「子宮内容除去」って・・・
私たちが授かった大切な命が
こんな言葉でいなくなってしまうなんて・・・。

思い出すと本当に辛く、悲しい。
手術はあっという間に終わりましたが、
前日に入院し、産道を広げる処置や、
その後の熱を伴う痛み、
本当に痛くて悲しい手術でした。

しかも、病室は個室をお願いしましたが、
同じ病棟には、出産した、もしくは出産を控えた方が
入院されていて、まさに明暗。

それも辛い入院でした。