転院

母子手帳をいただく手続きと同時に、 転院の手続きもとっていただきました。

私の通っていたクリニックでは、検診は受けることができても 出産はできない為、出産できる病院に転院する必要があったのです。

「何かあったらいつでも来てください。」と 先生がおっしゃってくださり、
はじめにここに来てよかった、と 改めて感じました。

転院先の病院をいくつか紹介していただいたのですが、 近くの総合病院は、子宮ポリープの手術や稽留流産の手術をした 暗い経験があるので、一駅隣の病院を選びました。

この選択は間違いなかったと、今でも思います。
今でも娘がお世話になっているくらい、いい病院ですし、
はじめに診ていただいた先生もサバサバした、とてもよい先生で 検診は、いつもこの先生にお願いしていたくらいです。

母子手帳

2016年2月26日、いつもの検診で問題がなかった為、 母子手帳をもらってくることになりました。

「とうとうこの時が来たか〜」
待ちに待った母子手帳を手にする日がやってきました。

病院を出るとすぐに、近くの出張所に行き、 母子手帳をいただきました。
手にした時、
私もママになれるんだ。
と感動とともに なんとも言えない幸せな気持ちが湧き上がってきたのを覚えています。

すぐに写真を撮って彼に送信しました。
彼も感動したようで、嬉しそうな顔が想像できるような返事が返ってきました。

やっと、少しだけ安心したような、前に進めたような気持ちになれました。
ここから私の幸せなマタニティライフが始まりました。

漢方薬

妊活の時から調合してもらっていた漢方薬局の先生にも
妊娠のご報告をしたところ、とても喜んでくださいました。

やっぱり、漢方薬の調合がよかったのだと、大満足の様子でした。
漢方薬は本当に効き目があったように思います。
この漢方薬は出産間近まで飲み続けていました。

それと同時に、「バイオリンク」を飲み始めました。
これは漢方薬局で進められたもので、お腹の赤ちゃんに良い影響を与えるということでした。

この薬のおかげで、赤ちゃんは元気にすくすく成長したのかもしれないと 思っています。

1週間毎の検診

その後、1週間おきに検診に行きました。

週に一度、赤ちゃんの様子を見ることができたので、 月1回の時よりも安心感はありました。
ただ、先生の一言に一喜一憂して、
少し小さめかな、と呟かれると、 育ってないのでは?と心配が募ったり、
問題ないかな、と呟かれると 安心したり・・・
といった感じに。

4回目の検診後、赤ちゃんが小さいという言葉に、 どうしても心配になってしまって、一度だけ、他の病院にも 行ったことがあります。

結局その病院でも特に問題がない、という結果だったのですが、
コミュニケーションって大切なんですね、
言葉少ない先生だとどうしても心配になってしまうことがありました。
今考えると必要以上に、ビクビクしていたような気がします。

この時に購入したのが、「エンジェルサウンズ」です。
まだ赤ちゃんが小さすぎて、心臓の場所を見つけるのも一苦労で聞こえたり、
聞こえなかったりしたのですが、2日おきくらいには夫婦で聞いて 安心していました。

悲しい結果

7月下旬、3回目の検診に旦那さんと行きました。

検診の結果、先生から
「赤ちゃんの心拍が聞こえません。」
と告げられました。
ただ、一回で、しかも一人では判断ができないとのことで、
3日後、また診ていただくことになりました。

この3日間は、間違えであって欲しいとずっと祈っていました。
もちろん、会社にも行き、普通の生活をしながらですが。

悲しいことに赤ちゃんが動かなくなっても、
お腹にいることでつわりはあるそうで、
変わらず気持ちが悪い日々・・・。

3日後の検診でやはり赤ちゃんが育っていない、
という診断に。
稽留流産であると告げられました。

手術に関する説明を主人と聞きながらも、
私は涙が止まらず、先生の話もただ、
言葉が流れている感じでした。

ただ、印象に残っているのは、
40を過ぎてからの妊娠の確率は50%。
妊娠の継続の確率はさらにそこから50%。
「この年齢で妊娠されたということは、
奥さんの子宮はまだ若い方だということでしょうね」
と当たり前ですが、たんたんと告げられました。

旦那さんが
「先生が立ち会った出産で最高齢は何歳ですか?」
と聞くと先生は
「43歳ですね」
と答えていたことを覚えています。

すごく無機質な言い方にショックを受けました。
43歳なんてもうすぐじゃん。
もう時間がないじゃん、
このまま産めないんじゃないか・・・。
なんでお空に帰っちゃったんだろう・・・。
何が悪かったのだろう・・・。
とそんなことをずっと考えていました。

そして悲しい手術をすることなりました。

周りの反応

妊娠は上司と本当に仲の良い子だけに伝え、
他の人には言わずにいました。
が、つわりがひどかったので、
きっと周りの人もわかっていたと思います。

しかも同じ会社にいた旦那さんは
すごく嬉しかったみたいで
なんとなく、子供ができたっぽいことを匂わせていたし。

友達も後輩も、私が子供を欲しがっていたことを知っていたので、
みんなすごく喜んでくれて。
親友からは「安心のマタニティブック」を プレゼントしてくれました。

また、昔、一緒に占いに行った後輩は、
「42歳で子供ができる」
と占いで言われていたのを覚えていてくれて
「占い、ほぼ当たりましたね」
と喜んでくれました。

そして次の検診の日、
私はいつも通り旦那さんと病院に向かいました。

初めての妊娠

最初は、なんだか体調が悪いなぁと感じていたのと、
基礎体温がずっと高温期だったので、
もしかして・・・と思い妊娠検査薬でチェック。
陽性反応が出て、旦那さんとまさに手を取り合って喜びました。

病院で検査した結果、妊娠2ヶ月。
親友にすぐに電話で報告しました。
親友の声を聞いたら、嬉しくて電話でも泣いてしまって・・・。
言葉にならなかった。
そのあと、自宅で母にも泣きながら報告しました。

この時の私は
妊娠したことの喜びを感じつつ、
仕事もいつも通りに出勤し、仕事をこなし、家に帰る、
という毎日でした。

でも、だんだんとつわりがひどくなり、
上司に相談、時短勤務 (出勤時間を1時間遅らせる)にさせていただきました。

私は金融機関でIT部のマネージャーをしていたので、そこそこの激務。
また役職もついていたこともあり、具合が悪くても休みにくい、
遅刻もしにくい、と自分自身が精神的にも、肉低的にもきつい状況に陥っていました。

直属の上司は男性。
しかもあまりいい関係性ではなかったので、
弱いところをみせることも、
助けてもらうこともできず、
毎日が必死、という感じでした。

それでも、かかとの低い靴(このときはほとんど持っていませんでした)を買ったり、
お腹周りのゆるい、ウェストがゴムになっている服を買ったりと
幸せな気分で買い物をしたのを覚えています。
なんとも見た目から入る?的な妊婦生活のスタートでした。

2回目の検診でも問題なく、
ここまでは順調に育っているようでした。