骨盤ケア教室

6月10日、病院で開催している骨盤ケア教室に
行ってきました。

骨盤ケア教室ではトコちゃんベルトを購入し、
助産師さんが骨盤ケアの重要性や
トコちゃんベルトの巻き方などを教えてくれます。

赤ちゃんを産むには、
赤ちゃんがママのせまい骨盤の中を通りやすくするために
骨盤のゆるみが必要になります。
赤ちゃんを産むために、
妊娠初期から徐々に骨盤がゆるむように
なっているそうなのですが、
現代の生活では、
骨盤が緩み過ぎてしまうことがあるそうです。

骨盤が緩み過ぎてしまうと、
赤ちゃんがいる子宮が下がってしまう、
それが原因になって冷えやお腹が張るなど
様々なトラブルが起きる要因になるそうです。
産後も尿漏れや下半身太りなどの要因にも
なってしまうそうです。
そのためにも骨盤ケアが必要とのことでした。

トコちゃんベルトのつけ方にはコツがあります。
つける位置も決まっているのですが、
その位置で合っているのか不安にだったり、
また、つけた後、動きにくいと感じることもありました。

でも、赤ちゃんのためにも骨盤の緩み過ぎを気をつけたい、
産後のトラブルをなんとか回避したい!と思い、
トコちゃんベルトは比較的活用していました。

どうしても外出の時にはトコちゃんベルトはつけず、
腹帯にささえ帯が付いているものをつけたり。

それでも産後、骨盤の歪みは結構ありました。

もっと体幹を鍛えておけばよかった
など、後悔することも多いです。
人それぞれ体の歪み方や症状は違うので、
どこまで、どの程度やるべきなのか、
つける位置に問題はないか、
など、一人一人にアドバイスをしてもらえるようなところが
あるといいなぁと思います。

病院での骨盤ケア教室は、
数人の妊婦さんが集まってやるのですが、
私も不安なことはもっと積極的に聞くべきだったと
思っています。

マタニティヨガ

7ヶ月に入ってから、頻繁にマタニティヨガに通っていました。

私の通っていた病院では、
マタニティヨガと
助産師さんが先生をされる助産師ヨガの
2つをやっていて、その2つともに参加をしていました。

もう一つ、自宅から一つ隣の駅にあるヨガ教室にも
通いました。
こちらのヨガ教室には、ヨガの他にもアロママッサージに行ったり、
今は産後ヨガにも通っています。

マタニティヨガは呼吸やポーズで妊婦ならではの腰痛や肩こりなどの緩和や
瞑想によって自分と向き合い、お腹の赤ちゃんともコミュニケーションをとることが目的のようです。
ヨガで教わったポーズは、自宅でも出産までほぼ毎日やっていたと思います。
お腹が大きくなってきてから腰痛や肩こりもひどかったですし、
何より体を動かしたかったので、ヨガは私にとってはとてもよい時間でした。

ただ、私はもともと体が固かったので、少し恥ずかしいこともありました。
助産師さんからもおしりが固い、股関節が固いとよく言われていました。

未だにおしりも股関節も固いわたし。
どうしたら柔らかくなるのかしら?と悩んだこともありました。

ただ、おしりも股関節も固いですが、出産はなんとか無事にできましたよ。

5ヶ月目の戌の日

4月22日、5ヶ月目の戌の日に水天宮にお参りに行きました。

戌の日の安産祈願は妊婦中の最大のイベントですよね。
妊娠がわかって、彼のご両親にご報告をしたところ、
義理の母がすぐに水天宮にお参りに行ってくださり、
腹帯などを送ってくれました。
それがとても嬉しかったのですが、
やっぱり戌の日に自分でも水天宮に行きたい!!
と思っていたので義理の両親を誘って水天宮に行ってきました。

昔は妊婦さんの母親が同行することが一般的だったようですが、
今は誰と行くのかは様々なようです。
また、体調やお仕事などの関係から、5ヶ月目や戌の日に絶対に
行かなければいけない、ということでもないそうです、

逆に、戌の日は混んでいるので、祈祷の時に妊婦さん一人しか
入れないのですが、時期をずらすと旦那さんも一緒に祈祷に
参加できるというメリットもあるので、それもいいですよね。

私の行った水天宮は、戌の日だったこともありすごく混んでいました。

車で向かった私たちは渋滞に巻き込まれ、
約束より大幅に遅れてしまったのですが、
両親が1時間以上、並んでくれていたので着いた時には
ほとんど待つこともなく中に入ることができました。
ただ、中に入ってからも大変な混雑で30分程度待つことに・・・。

受付で帯やお守りなどを受け取り、
その後、祈祷をしていただきました。

祈祷後は、外の本殿でお参りをし「子宝いぬ」へ。
「子宝いぬ」は15分程度並びやっと触ることができたのですが、
子宝いぬの周囲を取り巻く十二支のうち、自分の干支を撫でると、
安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるそうです。

水天宮を出た後は、近くにあるロイヤルパークホテルで
安産祈願の特別ランチをみんなでいただきました。
水天宮の近くでは安産祈願のランチを提供しているお店が
いくつもあるようですね。

祈祷には当然ですがたくさんの妊婦さんがいて、
外には祈願する妊婦さん連れのご家族もいっぱいいて、
みんなとっても幸せそうでした。
キラキラして穏やかな顔をしている幸せそうな妊婦さん、
その妊婦さんを守るようにご家族がいて、
水天宮はなんとも言えない空間、まさにパワースポットでした。

この時にいただいた
鈴のお守りは母子手帳入れに付け持ち歩き、
小布御守は腹帯お内側に縫い付けて使っていました。
(御子守帯はそのまましまっています。)

いつの日か、
utaが赤ちゃんを授かった時、
一緒に来て、この日のことを教えてあげられたらいいなぁ
と夢見ています。

3D/4Dエコー

3D/4Dエコーってどのくらい見ましたか?

私は毎月、見ていました。
私が通っていた病院では、通常の検診とは別に費用がかかるので、
あまり見ない方もいらっしゃるそうです。

この時期は検診も1ヶ月に1回なので、
なかなかベビに会うことができないため、
元気なのか、どこにも異常がないのか、どうしても不安がありました。
なので、私は検診と検診の間に、3D/4Dエコーの予約を入れて、
ベビの様子を見る時間を設けていました。

4月の時にはまだまだ小さくて画面に全身が写っていましたが、
10ヶ月頃になると、当然ながら全身は写らず、顔だけなど
一部分を何度も角度を変えて見る感じに。

ちょうど、角度が悪くてお顔が見えない時もありましたが、
元気に動く姿が見えて、安心感とかわいくて愛しい気持ちが
すごくすごくわきました。

うちの子はいつもお顔のそば、お口やほっぺの辺りにお手てがあって、
なんとも女の子っぽい仕草でした。

3D/4Dエコーって、本当にすごい技術ですよね。

あかちゃんの呼び方は?

お腹の中にいるあかちゃんにつけるニックネームを「胎児ネーム」というそうです。
「胎児ネーム」をつけて呼んでいましたか?

「胎児ネーム」をつけると
あかちゃんをより近くに感じることが出来る
実感、自覚が芽生える
ママの声が記憶に残る
などといったメリットがあるそうです。

私の兄は、子供がお腹にいるころから「ひなちゃん」と呼んでいたそうで、
そのまま「ひな」という名前にしたそうです。

私は何のひねりもありませんが「ベビ」と呼んでいました。
たまに「ベビごん」とか「ベビちょん」とか「ベビ」の後ろに「ごん」などと
つけて呼んでいましたが、基本的には「ベビ」と呼んでいました。

あかちゃんはお腹の中にいる時の記憶があると言いますし、
ママの声を聞いていた、というお話も聞いたことがあります。
utaは聞いてくれていたのかな?
もう少し大きくなってお話ができるようになったら、
一度、聞いてみたいなぁと思っています。

安定期

4月になり、安定期に入りました。

なんとか、無事に安定期に入って本当にホッとしました。
体調もよく、やっと楽しいマタニティライフが送ることが出来そうです。

安定期に入ってから、以前友人からもらった
「安心マタニティブック」にちょこちょこその日の様子を書き始めました。

そしてもう一つ。
毎日、少しずつ運動をし始めました。
運動といってもやっていたのは、マタニティヨガとウォーキング、
そして寝る前のストレッチです。

ヨガとウォーキングは出産間近まで頑張って続けました。
毎日、万歩計を持ち、1万歩を目標にてくてく歩きました。
我が家にはワンコのパグがいるので、朝夕のお散歩は必ず行くのですが、その他にもウィンドウショッピングやお買い物の帰りに遠回りしたり、一駅程度の移動なら歩いたり。
ただ歩いていてもお腹にあかちゃんがいると思うと、
すごく幸せで、周りの景色が違って見えるというか、
産まれたらここを歩いてみよう、とか、こんな景色を見せてあげようとかそんなことを思いながらウォーキングをしていました。
1万歩というと結構な距離ですが、それほど苦にはならなかったです。
ただ、真夏の暑い日はお腹も重く、ヒーヒー言っていましたが・・・。

毎日のウォーキングのおかげで安産だったのかもしれません。

味覚の変化

妊娠中は、味覚の変化に苦しみました。

ごはんをあまり食べることができなかったのと、
大好きだったかぼちゃの煮物やおでん、少し酸味の効いたものは匂いもダメでした。

この時、母が貧血にいいとテレビでやっていた切り干し大根をお酢で炒めたものを
頻繁に作って食べていたのですが、
この時のお酢の匂いがどうしても気持ち悪くなってしまい、
キッチンに近づかないようにしていました。

逆に普段はほとんど食べなかったフライドポテトなどのジャンクフードや
おせんべいはすごく食べたくなりました。
食べるとすぐに太ってしまうこともあって、食べないようにはしていましたが、
「あー、食べたい」
とよく思っていました。

今考えると、
ちょっと神経質すぎたかな?
とも思うのですが、
妊娠中に食べていいもの、よくないもののリストが雑誌に載っていて、
このリストを雑誌から切り離して冷蔵庫に貼ってよく見ていました。

初めてのことですし、せっかく宿った赤ちゃんをとにかく健康に産みたい
とそればかり思っていたので、少しでもリスクがあるならそれは排除したい
という気持ちが働いたのだと思います。

サーモンとかチーズとか、リストの中には大好きなものもあったのですが、
妊娠中はぐっとガマンをしてました。

飲み物も相変わらず、白湯ばっかり。
当然、カフェインが少しでも含まれるものはほぼとりませんでした。
コーヒー、2、3杯くらいなら問題ないって言いますけどね。

友人に聞いてみたところ、それほど気にしたという子はいなかったので、
あまり神経質になる必要はないようですが、高齢出産となると
何事にも慎重になってしまうようです。

出生前診断、受けますか?

出生前診断、私は受けませんでした。

2017年7月の毎日新聞の記事によると、
妊婦の血液から胎児のダウン症などを調べる「新型出生前診断」を受診した人は
検査を始めた4年間で計4万4645人だったとする集計結果が出たそうです。
4年目は約1万4000人で前年より1200人増えた。
これは高齢出産の増加を背景に、受診者が毎年増え続けているのだそう。

私が通っていた病院では、
出生前診断を受けるかどうか聞かれませんでしたし、
仮に陽性反応が出たときにどうしたらいいのか、
結論が出なかったから、ということもあります。

私たち夫婦は、
「もし、検診の時に何んらかの異常があれば、
先生が受けるように勧めるのではないか、
それがなかったのであれば問題ないのだろう」
と話し合い、そう信じることにしました。

それでも、出産するその時まで心配でしたが。
40歳を超えるとダウン症の確率がグンと上がると聞きますし。

もし二人目を妊娠することができた時、
出生前診断を受けるのか・・・
やっぱり今でも結論が出せません。

人工授精や体外受精、3Dエコーなど、科学の進歩による恩恵を
受けていることもいっぱいありますが、
一方で出生前診断のように科学の進歩により厳しい選択を迫られる
場面も出てきます。

もし、またこういった選択をする直面になったときには
夫婦で結論を出していきたいと思います。

つわり

わたしの場合、つわりは5ヶ月くらいまでありました。

つわりには色々な種類がありますよね。
吐きつわり、
食べつわり、
眠りつわり
においつわり など
頭痛や便秘、下痢もつわりの一種のようです。

わたしは5ヶ月くらいでまで続きましたが、
「吐きつわり」時々「食べつわり」といった感じでした。
そして、いつも体調がすぐれない感じが続きました。

高齢出産だからということもなく、普通につわりがあり、
炊きたてのご飯の匂いや、炒め物の匂いがめっきり苦手になりました。

それでもきっと私のつわりは軽い方で、
私の友人は出産まで続き、妊婦なのに痩せている感じでした。

加えて、私は自宅で仕事をしていたので、
満員電車に乗ることもなければ、
つらければ横になれる環境だったこともよかったのだと思います。

私がトイレで「うっ」と吐きそうになっていると、
彼は「ドラマで見る妊婦みたいー」となぜか嬉しそう。

きっと彼も赤ちゃんができた喜びを、私を通して感じていたんだと
思います。

いい病院ってなんだろう

前回の記事で「いい病院」だったと書きましたが、
「いい病院」ってなんでしょうか?

他の方はどのように病院を選ぶのでしょうか?
キレイだから?
近所だから?
そこしかなかったから・・・?

大学病院で産む、自宅で産む、助産院で産む、など選択肢は色々あると思います。
私ももっと若ければ、助産院で産みたかったです。

わたしのような高齢出産になると、
難産になる確率が高いことや、
妊娠高血圧症候群などのリスクがあるため、
どうしても出産できる場所(病院)が限られてしまう。
それは私もよく理解していました。

私の通っていた病院が「いい病院」だった一番は、
高齢出産でも全く問題がない、特別扱いをしないところです。

私は「高齢出産」ということをすごくすごく気にしていました。
高齢出産ならではのリスクを踏まえた上でだと思いますが、
私が気にしていると先生が、
「年齢は関係ない。
 うちは高齢でも帝王切開を進めることもしません。」
と言ってくださり、さらに
「これは持論ですが、実際の年齢はあまり関係なく、
 見た目年齢ってすごく大切で、utaha-haさんの場合、
 見た目が若いので全然問題ないと思っていますよ。
 あくまでも持論ですけどね」
と言ってくださりました。
これは私にとってずっと励みになっていました。