まったり妊活

まったりした妊活。

何もしていないわけではなく、相変わらず、漢方薬は飲み続けていました。
体を冷やさない、
冷たい飲み物は飲まない、
適度に体を動かす、
などといったことはもちろん、継続していました。

仕事も出来る範囲で、自宅で続けていました。

一つ始めたのは、プラセンタ注射です。
不妊の治療として絶大な効果はないかもしれませんが、妊娠しやすい体を作るには いいはず、ということ、
前回、妊娠した時にはプラセンタ注射を打ったり、サプリを服用していたので、 もしかしてこれがよかったのかも? と近所のクリニックの先生とも相談し、週1〜2回、注射を打っていました。

このクリニックの先生からも私の年齢では体外受精は難しいかもしれないと 言われました。

人によるのでしょうけれど、私には合わなかったのだと思います。
クリニックの先生には排卵のタイミングを見て頂いたり、クラミッドを処方して頂いたりしましたが、
先生が「タイミングだけでいけるような気がするなぁ」と
言ってくださっていたので、それを信じて通っていました。
そのうち、排卵のタイミングも排卵検査薬でチェックし、クラミッドを飲むことも ほとんどしなくなりました。

とにかく自然に・・・。

漢方薬局の先生にも「タイミングだけできっと大丈夫ですよ。」と言って頂いたり、 私の周りには心強いことを言っていただける先生がいたので、なんとなく 大丈夫かも、とあまり焦ることなくゆるく頑張り続けることができたのだと思います。

また、「この年齢でまだ子供?」って思われたら嫌だなと思って、 友人に「妊活してます」とは言いにくいなと思っていたのですが、私の周りには そんなことをいう方はひとりもいなかったのも救いでした。

久しぶりに会うお友達に「実は今妊活中なんだ」と言うとみんな「頑張りなよ。」と 励ましてくれる子ばかりでした。

この周りの環境が、穏やかな気持ちで妊活生活を送れたのだと思います。

3回目の体外受精

ひと月お休みをしてまた採卵、移植をすことにしました。

この病院はとても人気で毎回、すごく混んでいます。
1回の通院で3時間はかかります。
そのほとんどが待ち時間。
人がとても多くて、不妊で悩んでいる人ってこんなにいるんだ。と驚くほど。

朝、早起きして7:10に到着しても、すでに89番目。
これだけ混んでるんです。
しかも、先生とじっくり話すわけではなく、本当に事務的。
しかも数分。

それがいいという人もいると思いますが、心のうちを話すことができず嫌だという人も いるでしょう。
私はよくも悪くもなかったけれど、ベルトコンベアーのように流れ作業的な雰囲気と 待ち時間の長さにストレスが溜まってしまっていました。
どうも前向きな気持ちになれないというか・・・。

採卵は2回目。
今回は麻酔もせずに実施。
それほど痛くはありませんでした。

結局、2つ取れた卵のうち、ひとつは空胞だったので 卵は1つのみ。
今回の卵は形が良いとのことで、このまま胚盤胞まで培養することになりました。
が、胚盤胞まで育つことはなく、移植をすることはできませんでした。

まだ数回だけしかやっていないけれど、精神的にも肉体的にも ストレスが溜まってしまい、そんな私を旦那さんんが察してくれ、 しばらくお休みすることにしました。

しかも、私の年齢では、体外でも、タイミングでも確率は同じ。
それならば、体に負担のかからないタイミングで頑張ろうと、旦那さんが提案してくれました。

2015年7月、42歳。
ここから私のまったり妊活が始まりました。

2回目の体外受精

2回目は前回凍結した分割卵を移植することになりました。

前回着床しなかったのは、卵の状態があまり良くなかったからだろう、
とのことで、ほとんどの原因は卵なのだそうです。

着床しないことはよくあることだそうです。
それはそうですよね。
簡単に着床していれば不妊治療なんてこないもの。

分割卵の移植は、胚盤胞の移植に比べ確率は下がるけれど、 ずっと子宮の中にいるので温度も一定で暗いこともあり、分割卵の方が 良い場合もあるそうです。

結果は・・・ 今回も陰性。
しかも着床もしていないとの結果でした。

まだ初めて2回ですが、このまま続けていいのか・・・すでに疑問に思いはじめていて ひと月お休みし、タイミングを取ることにしました。

1回目の体外受精

生理3日目に行き、
ホルモン検査後、
クラミッドを1錠ずつ服用する事に。

その5日後にホルモン検査に行くも
「卵が育っていない」と言われ、
1日おきに注射をしに行きました。

今度は卵が大量にできてしまったということで、
採卵し受精後、凍結させることになりました。

Kクリニックは、採卵時の針がとーっても細いため、
通常は麻酔などはせずに行うのだそう。
私の場合は卵の量が多く、全部を取得して凍結させるので、
局所麻酔をする事になりました。

1回目の体外受精は採卵の前々日、
24時に点鼻薬で採卵を促すことから始まりました。

前日、16:20 に病院へ電話をし、時間、費用、持ち物を聞く。
18:00、24:00 に座薬を入れ、
朝 9:30 に彼の精液を持って病院へ。

病院では 10:30に採卵開始。
局所麻酔後、右側から採卵をしました。
右側が恐らく10個。
左側が14個くらいだったと思います。

採卵の時は、多少の痛みはあったものの
耐えられる範囲でした。
たぶん、普通は相当痛いらしく、看護師さんには
「痛みに強いのね」と 感心されました。
でも・・・ 終わった後が痛い。

麻酔が切れてからは、痛くてまっすぐ座れないほど。

その後、培養士さんとの面談があり、採れた卵について説明を受けました。
5つの成熟卵 3つの未成熟卵 1つの完全未成熟卵がありました。
5つの成熟卵はすぐに受精させ、1つはすぐに凍結。
残りは胚盤胞まで育てて凍結させるとのこと。
(胚盤胞を移植したほうが着床率が高いそうです。)

とにかく痛い。
でも赤ちゃんを授かるため。
と思ってとにかく耐えました。

その後、培養させている卵の様子を聞くため、
数回、病院へ電話をし確認をしましたが、
結局、 1つは分割卵に成長し凍結。
1つは胚盤胞まで成長したので凍結していただきました。

この胚盤胞まで成長した卵を翌月の排卵日に移植をしました。
移植はカテーテルを入れた時に
少し痛みがありましたが
卵を戻す時には痛みはなく、
画面も見ることができたので、
「おかえり〜」と心の中で言っていました。

約1年前にお空に帰ってしまった赤ちゃんが戻ってきてくれればいいなぁ
と願いつつ、判定日を待ちましたが、
結果は陰性。
着床すらしなかったようでした。

まだ始まったばかりの体外受精、
でももう心が折れそうに・・・

こうして初めての体外受精が終わりました。

妊活の再開

退職後、自宅で仕事をしながら妊活を送っていました。

今思うと、結構頑張って妊活していたと思います。
体外受精にも3回チャレンジしました。

体にもすごく気を使っていました。
もともと冷たい飲み物は苦手で、
毎日白湯を持ち歩いて飲んでいましたが、
家でも冷たいものは飲まず、
早寝早起きを心がけ、
太らないように適度に運動をしたり、
葉酸のサプリも毎日欠かさず飲みました。

そうそう、
この頃から漢方薬も飲み始めました。
近くの漢方薬局に行き、
調合してもらい、
朝晩、毎日飲みました。
漢方薬局の先生はとても優しくて、
「絶対授かりますよ。」
といつも励ましてくれていました。

この時、すでに42歳。
タイムリミットが近づいていると、
だんだんと焦りを感じ始めていました。

そんな時にずっと通っていたネイルサロンのオーナーさんに
不妊治療の病院、
西新宿の「Kレディスクリニック」
を紹介していただきました。
Kレディスクリニックは不妊治療では有名で人気のクリニックです。

待ち時間が長いとか、
先生が事務的とか、
色々お話は聞きましたが可能性は広がる。
しかも体外受精で使う針は細くて痛みが少ない。

初診は44歳までと制限があるそうなので、
藁をも掴む気持ちでクリニックに行き、
検査を受け、私も主人も異常がない事を確認し、
すぐに1回目の体外受精をする事になりました。

心境の変化

それから5ヶ月後、私は会社を辞めました。

今までも辞めたいと思ったことはたくさんありましたが、
仕事が決して嫌いではなかったことや
お給料にも不満がなかったこともあり、
辞める、という一歩を踏み出すことはできませんでした。

でも、この時は
また赤ちゃんを授かることができるように、
また、できた時のために心も環境も整えたい、
という気持ちが強く、
迷うこともなくするっと
「会社を辞めよう」
と決意しました。

ちょうどよかったのは、
その時の上司との関係性が良くなかったこと。
なんの未練もなく、憑き物が取れたような気持ちでした。

あんなに辞めることに抵抗を感じていたのに、
なんの戸惑いもなく、あっさり辞めるなんて
自分の心境の変化にも驚きました。

自分を責める

手術後、これまでの日常が戻ってきました。
ただ、私はなかなか立ち直ることができず・・・。

同じ境遇の子と慰め合って
少し気持ちが楽になって、
また落ち込んで・・・
の繰り返しでした。

他のほとんどの子は何の不安もなくマタニティ生活を
送っているのに私は・・・
なんで私ばっかり・・・。
私の何が悪かったんだろう・・・。
やっぱり年齢だろうか・・・。

この頃の赤ちゃんが亡くなってしまうのは、
お母さんに原因があるのではなく、
遺伝子異常だといいますが、
私は自分を責めては泣いていました。
同じ経験を持つ方は多くの方がそうなると思いますが・・・

気持ちが落ち着かず、
何かにすがりたいのか、
気持ちを誰かと共有したいのか、
整理したいのか・・・
よくわかりませんが、とにかく本を読み漁りました。

読んだ本は、「子どもは親を選んで生まれてくる」や

 高島彩さんの「彩日記-Birth-」などです。

そうして少しずつ気持ちが落ち着いてきました。

悲しい手術

その数日後、流産の手術をしました。

手術の説明書には
「流産手術(子宮内容除去術)」
と記載されています。

「子宮内容除去」って・・・
私たちが授かった大切な命が
こんな言葉でいなくなってしまうなんて・・・。

思い出すと本当に辛く、悲しい。
手術はあっという間に終わりましたが、
前日に入院し、産道を広げる処置や、
その後の熱を伴う痛み、
本当に痛くて悲しい手術でした。

しかも、病室は個室をお願いしましたが、
同じ病棟には、出産した、もしくは出産を控えた方が
入院されていて、まさに明暗。

それも辛い入院でした。

悲しい結果

7月下旬、3回目の検診に旦那さんと行きました。

検診の結果、先生から
「赤ちゃんの心拍が聞こえません。」
と告げられました。
ただ、一回で、しかも一人では判断ができないとのことで、
3日後、また診ていただくことになりました。

この3日間は、間違えであって欲しいとずっと祈っていました。
もちろん、会社にも行き、普通の生活をしながらですが。

悲しいことに赤ちゃんが動かなくなっても、
お腹にいることでつわりはあるそうで、
変わらず気持ちが悪い日々・・・。

3日後の検診でやはり赤ちゃんが育っていない、
という診断に。
稽留流産であると告げられました。

手術に関する説明を主人と聞きながらも、
私は涙が止まらず、先生の話もただ、
言葉が流れている感じでした。

ただ、印象に残っているのは、
40を過ぎてからの妊娠の確率は50%。
妊娠の継続の確率はさらにそこから50%。
「この年齢で妊娠されたということは、
奥さんの子宮はまだ若い方だということでしょうね」
と当たり前ですが、たんたんと告げられました。

旦那さんが
「先生が立ち会った出産で最高齢は何歳ですか?」
と聞くと先生は
「43歳ですね」
と答えていたことを覚えています。

すごく無機質な言い方にショックを受けました。
43歳なんてもうすぐじゃん。
もう時間がないじゃん、
このまま産めないんじゃないか・・・。
なんでお空に帰っちゃったんだろう・・・。
何が悪かったのだろう・・・。
とそんなことをずっと考えていました。

そして悲しい手術をすることなりました。

周りの反応

妊娠は上司と本当に仲の良い子だけに伝え、
他の人には言わずにいました。
が、つわりがひどかったので、
きっと周りの人もわかっていたと思います。

しかも同じ会社にいた旦那さんは
すごく嬉しかったみたいで
なんとなく、子供ができたっぽいことを匂わせていたし。

友達も後輩も、私が子供を欲しがっていたことを知っていたので、
みんなすごく喜んでくれて。
親友からは「安心のマタニティブック」を プレゼントしてくれました。

また、昔、一緒に占いに行った後輩は、
「42歳で子供ができる」
と占いで言われていたのを覚えていてくれて
「占い、ほぼ当たりましたね」
と喜んでくれました。

そして次の検診の日、
私はいつも通り旦那さんと病院に向かいました。